CRPSになった経緯

 

勤務中の転落事故から10日位で火傷したような、切り裂かれる様な痛みが出てきました。患部が冷たく、暖めても痛くて、耐え難い日々でした。この時点でcrpsの疑いが濃厚になりました。複雑でした。この後はずっと精神的にも辛い日々を送っていました。

 

痛くても確定診断の検査を受け、仕事が出来ない為、収入がなく、労災認定も7ヵ月かかり、死にたい、と思う事がありました。棚沢先生がいなかったら、今の私はここにいない。opeを受けて痛みが軽減したときの事は、今でも忘れられません。

opeのおかげで、生きる希望が見えてきました。

 

でも、ope後わずか2カ月で病状が進行し、手術を2回しました。

季節は11月になり、ようやく労災認定も認められ、安堵しました。これは去年の事ですか、去年一年間だけで計5回もopeをしました。

 

私の場合、初期段階で早期発見、早期治療を受ける事が出来たこと・専門医にめぐりあう事ができたことを考えると、まだ幸運な方だっだと感謝しています。私は東海地区に住んでいますが、東海地区はこの病気について、他の地区よりも、遥かに進んでいると噂に聞き、心強いと思います。

 

この病気は進行するので、手術との追っかけあいです。

私は、scsが2台体の中に入っています。機械の本体は、お腹に、配線は首から、背中、手、足に入っています。腰にも‥そんな体でもコントロールしながら、生活出来る、今があります。職務復帰はまだまだですが、諦めたくない。

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『メディカル朝日』 2010年11月号掲載
『メディカル朝日』 2010年11月号掲載

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2010年 12/3 朝日新聞夕刊掲載
2010年 12/3 朝日新聞夕刊掲載